果たしてあれでよかったのか
気が付けば1年ぶりの投稿となりました。
きっとココは誰かに見てもらいたいために存続させてるのではないのでしょう。
他では書けなかった「母と暮らせば」の感想。
ここから先はとても辛口な内容です。
入室は自己責任でお願いいたします。
ニノ担さんが入られてないことを祈ります。
それでも冷静な感想を読んでみたいと思っている方がいらしたら嬉しいな。
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ここから本題に入ります。
映画「母と暮らせば」。
監督は巨匠山田洋次。
主演は日本を代表する大女優吉永小百合。
そしてジャーニーズきっての演技派二宮和也。
若手の演技派女優黒木華。
と、そうそうたるメンバーです。
ここで思いっきりフィルターかかってしまっていませんか?
吉永小百合さん。
着物も着慣れていて、所作も美しく、古き良き時代の控えめな女性っぷりは素敵です。
質素な食事をしながら息子と語り合ってるところなど自然でとてもいいのです。
が、どうしても可愛らし過ぎる。
(綾瀬はるかがこのまま年齢を重ねていくと吉永小百合に行き着くように思う。)
世のサユリストが惚れ込むのは分かる。
でも、母には見えないのです。
監督は途中から小百合さんだけ撮りたくなったんじゃないかと思っていましました。
ただし、町子が黒田を連れて訪れた時の「頭では分かっていても、実際に町子が他の男と結婚することを心が受け付けない」というのは描写はとてもリアルだった。
二宮和也さん。
私はこれ主演とは思わないです。
むしろ助演の方がいいと思うのだけど。
大人の事情だろうな。
ファンタジーな作品だからなのか、死んだ息子役だからか、演技を作りこんでる部分を強く感じる。
演技的な動きが手振りなどにも出てた。
「町子は誰が好き?」って聞くあのシーンはよかったけど。
黒木華さん。
若いながらこういう映画にとても似合う女優です。
私は彼女の他の作品を見たことないので申し訳ないのですが、この町子役に限ってはあくまでも及第点。
というのも町子の葛藤はあまり描かれていないからという部分も大きくはあるのです。
本人のセリフで見える部分しか作品が掬い上げてないのが残念といえば残念。
そして3人に共通して言えることは長崎弁に苦労しているということ。
九州の方言は難しい。
部分的にとても素晴らしいシーンはあります。
冒頭の原爆が落ちるシーンは秀逸でしょう。
母と浩二の何気ないやり取りや、回想シーンの浩二と町子も。
母の認識(身体は衰弱していってても息子との時間が持てた喜び)と周りの認識(伸子が弱って幻覚を見てるのではないか?的なもの)の差。
伸子の死。(たとえ浩二が幻覚であったとしても、死んだ息子が最後はそばにいてくれたと本人が思えれば幸せであるということ。)
上海のおじさん役の加藤健一さんなんて助演男優に抜擢してもいいぐらい素晴らしい演技と存在感でした。
ただ、井上ひさし氏へのオマージュ作品としてこれでいいのかという疑問は残ります。
井上ひさし氏の「父と暮らせば」は被爆者の葛藤を見事に描いています。
自分が生き残ってしまったという葛藤。
犠牲になって亡くなった人への申し訳なさ。
いつ原爆症が出るか分からない恐怖。
被爆しているといいうことで指される後ろ指の辛さ。
自分は幸せになってはいけないと思う娘をなんとかしようと現れるのが原爆で犠牲となった父でした。
町子が連れてきた黒田が浅野忠信というのは素敵な配役です。
(「父と暮らせば」の娘に好意を寄せる人物を浅野さんが演じている。)
父と暮らせばで描かれている葛藤が町子に引き継がれている部分もあります。
でも全体的に弱い気がしてなりません。
これはドラマチックに物語が動かないからとか、ゆったりした間とか、地味なセリフとかそいういう問題ではないのです。
たぶん、母と息子の関係と原爆によって別れた生死が上手く噛み合ってないから。
だから余計に小百合さんだけを撮りたくなったのではないかと見えたのだろうなと思っています。
そしてラスト。
エンドロールへ向かうあのシーンが私的には最も辞意する部分でした。
(大川○法でも出てくるのかと思った。)
確かにキリスト教信仰のあつい街です。
そしてキリスト教と言っても長崎に根付いて広がっていったものはとても日本的な部分を持ちます。
私には監督の意図を汲むことができませんでした。
最後に私が一番好きなシーンを。
レコードを抱え浩二が涙するあの場面。
白い靴下の足がとても印象的でした。
親指にクッと力が入って、浩二の気持ちが現れていました。